ミャンマーサイクロン被害視察
<2008年7月8日(火)〜15日(火)>
 5月にサイクロンが直撃し、甚大な被害を受けたミャンマーへ視察に行きました。ミャンマー政府への激励と、方々、現地視察を行い現況把握し今後の災害支援に役立てることを目的とし訪問しました。
ミャンマーの人口は5000万人強、面積は日本の1.8倍。5月2日〜3日にかけてのサイクロン被害では、死者8万人強、行方不明者5万人、被災者240万人といわれております。
7月8日(火) 
成田→タイ・バンコク→ミャンマー・ヤンゴン(旧首都)
7月9日(水)
ヤンゴン→ネピドー(新首都)
テイン・スエ運輸大臣、ニャン・ウィン外務大臣、テー・ウー農業灌漑大臣、テイン・セイン首相との会談
7月10日(木) 
ネピドー→ヤンゴン
チョー・ミン保険大臣、チョウ・トウ外務副大臣との会談ミャンマー経済界の若手実業家との意見交換会

7月11日(金) 
ヤンゴンにて 日本人墓地、ヤンゴン港視察
7月12日(土)
ヤンゴン→タイ
マウン・マウン・スエ社会福祉救済復興相との会談
7月13日(日) 
バンコク
7月14日(月) 
バンコク
泰日工業大学、一村一品運動で実績のあるサイアムパラゴン視察、JETRO関係者との意見交換会
2日目(7月9日)
ヤンゴンからネピドーへの移動は国営飛行機にて約1時間
テイン・スエ運輸大臣との会談の様子
 日本側のサイクロン被災に対するお見舞いとさらなる復旧、復興支援の約束の後、大臣から感謝の言葉があり、早速、現況報告を受けました。
 運輸省として三つの事業(ヤンゴン川の整備、ヤンゴン港の修復、ヤンゴン港に沈んでいる船を引き揚げ)に力を入れている旨の説明があり、特に、ヤンゴン港は、ミャンマーにとって国内の8割を占める重要な港で早急な復旧の切実な依頼があり、日本側は、今月中に測量業者の入札を終え実施、10月には本格的な作業に着手できる見込みであことを説明しました。
テー・ウー農業灌漑大臣との会談
 USDA(日本の大政翼賛会みたいなもの)総書記を兼務、国民の45%にあたる2500万人加盟する組織で、タン・シュエ国家平和開発評議会(SPDC)議長(ナンバー1)からの信頼も厚く、将来後継者としての可能性大です。
 農業分野では、堤の修復800kmと農業技術(効率)の向上が最大の課題である旨説明があり、日本側からは最大の支援を約束。また、将来の世界食糧危機に備えるためにも重要の認識を共有しました。
ニャン・ウィン外務大臣との会談
 一集落あたり、避難場所となる強固なコンクリートの建物を考えている旨の説明があり、日本側から今月10日にジュネーブでの第2回国際アピール(ミャンマーサイクロン被災に対する2回目の支援発表)、同20日のシンガポールでのアジア会議での支援提案について言及をしました。
 今回被災した地域に小学校が約2000校あり、将来を担うミャンマーの子供たちの支援と再びサイクロンが襲来した時の避難場所として建設の支援したい旨の説明をしました。
 なお、一校あたりの費用は強固な鉄筋建造で、約1000万円弱の見込みです。
テイン・セイン首相との会談
 特に、日本政府に対して、ヤンゴン港の沈没船の引き上げと農業技術支援の依頼がありました。
 日本側は、具体的な支援に対して、それぞれの担当大臣に報告したことを説明しました。約束の会談時間の1時間を45分もオーバーしての実り多い会談となりました。
テイン・スエ運輸大臣、テー・ウー農業灌漑大臣を招いての夕食会
 より親しい交流を続けることで、二国間の深い友好関係を築いていくことを誓い合いました。
チョー・トウー外務副大臣との会談
 外務省では、ヤンゴン駐在として第一線で指揮している立場の副大臣で、相当の疲労がたまっている様子でしたが、気丈に、「我々は敬虔な仏教徒として、決して見返りは求めない、復旧や復興に力を注ぐことが、功徳を積むことになる」と話をされていました。
3日目(7月10日)
チョー・ミン保険大臣との会談
保険省では、日本の援助で6年前に設置された看護大学、通称「JICA病院」の有効活用と、岡山大学のドクター岡田氏との連携が今回の被災にも大きく役立っている旨の報告がありました。
ミャンマー経済界の若手実業家との意見交換会
日本車の輸入から事業を始めたという青年実業者との意見交換でした。未開の地ミャンマーの可能性を強く感じたとっともに、100万ドルを超える支援など被災地への献身的な取り組みに感心させられました。
4日目(7月11日)
ヤンゴン日本人墓地
 午前9時に滞在先のホテルを出発し、ミャンマー政府の先導で日本人墓地へ向かいました。ヤンゴンの都市は、比較的に集中して施設が集まっており、約20分で到着しました。
 在ミャンマー日本人会会長さんや防衛駐在官(防衛省から外務省に出向し、1名の駐在)のご同行をいただき、戦死した約19万人の日本兵に対して衷心からの感謝と敬意を込めて献花しました。2か所に点在してあった日本人墓地を10年前に現在の場所に整地されたそうです。
ヤンゴン港視察前のブリーフィングの様子
ヤンゴン港の被害状況
 ブリーフィングを受けた後、一行は国営船に乗船し視察しました。日本のイメージする港とは大きく違い、大きなヤンゴン川の沿岸にひたすら続く港でした。沈没船や座礁船の内、比較的作業が簡単な一部は、回収されたそうですが、2か月経過した現在も無残な姿のまま放置されている光景に愕然としました。人々の生活の再スタートに大きな障害となっており、一刻も早く、沈没船の引き上げや桟橋の補修が求められます。
 日本政府としては、ミャンマー政府から要望のあった、日本の技術を駆使した気象レーダーの設置と沈没船の引き揚げの内、海底調査については、支援の約束をし、着々と進んでおりますが、全ての沈没船の引き揚げとなると容易ではありません。帰国後、現地での調査を踏まえ、協議を重ねて参ります。
 なお、ジュネーブでの対ミャンマー支援に関する第2回国際アピールで、第1回の2億ドルと合わせて5億ドルの支援が決定されたとのことでした。13分野109の項目からなりかなり力強い支援であると高く評価されていました。
5日目(7月12日)
マウン・マウン・スエ社会福祉救済復興相との会談
 こちらの所管は、消防、障害・貧困者対策、災害対策の大きく3分野だそうです。
 被災後の状況説明があり、特に孤児や教育の機会を失った者に対しての心のケア、カウンセリングに力を入れているとのことでした。又、職業訓練(特に女性の雇用)支援の要請がありました。青年海外協力隊の活動など全世界で日本の技術指導がなされていますが、残念ながらミャンマーは、1988年の軍事政権以降それらがストップしています。技術指導は、日本の最も得意とする分野でもあり、帰国後に早速協議することを回答しました。
7日目(7月14日)
泰日工業大学視察の様子
<ミャンマー視察の総括>
 
無事5日間の有意義な日程を終えることが出来ました。関係者の皆さんに御礼申し上げます。

 まず、サイクロン被災に対する支援については、首相や関係大臣との会談内容や現地調査を踏まえ、新たな要請も含めて帰国後に関係機関と具体的な支援について協議して参ります。

 日本も自然災害が多発する国であり、被災されたミャンマー国民の苦しみを十分に分かち合っています。我が国としては、採りうるあらゆる手段を活用し、ミャンマーの被災民を救済したいと考えており、関係諸国及び国際機関、NGOと力を合わせて、早期に立ち直ることができるよう引き続き支援して参ります。

 次に、ミャンマーの政治情勢について所見を述べます。今回は、サイクロン見舞い中心とした短い滞在でしたが、滞在中に関係者からの意見聴取や実際肌で感じたミャンマーを私見ですが報告します。

 我が国とミャンマーの関係は、現在の事態を懸念し、スー・チー女史を含む全ての関係者が関与した形での国民和解と民主化プロセスの具体的進展をミャンマー政府に粘り強く働きかけています。また、経済協力においては、我が国は2003年5月30日のスー・チー女史拘束事件以降の状況に鑑み、新規の協力案件については基本的に見合わせていますが、緊急性が高く真に人道的な案件については、慎重に検討した上で順次実施することにしています。

 率直に、国際メディアが報じる内容と実際この目で見たミャンマーの大きな違いに驚かされました。
現政権が20年前の1988年の軍事クーデターで政権を掌握したのは事実ですが、今回のサイクロン被災に関して、支援物資を軍が搾取し被災者に届いていないとか、軍が人道支援を断り被害が拡大したとか、また、新憲法案の国民投票については、軍が被災地の支援を後回しにして強引に実施したなどの報道がなされていましたが、現地では全くそのような事実は確認できませんでした。それどころか、官民それぞれの立場で、復旧、復興、将来の民主化に向けたプロセスに献身的に取り組んでいる姿が強く心に残っています。

 大使館員や直接要人に現地でお聞きしましても、被災後のミャンマー政府の対応は、これまでの外国人、特に欧州の国々からの内政干渉にさんざんひどい目にあってきたこともあり、5月10日の国民投票を控え、慎重を期したと思われます。

 内政干渉の例として、以前には、フランスに本拠を置く国際的な救援組織「国境なき医師団」が、ミャンマーにおける活動の認可を取り消されたことがあったそうです。その理由は、団員達が医療活動と称して地方に入り込み、実際は治安を乱すような政治活動を行っていたとのことです。

 民主化を目指し進めてきた、新憲法案の賛否を問う国民投票は、賛成が92.48%で、新憲法案は承認されました。投票率は、98.1%だったそうです。投票には、軍が不当介入すると決めつける報道もありましたが、実際には、投票の実施状況は各国大使館員(日本大使館も述べ10名参加)にも視察させるなど透明化にも力を注ぎ、少なくとも不正の事実は確認出来なかったとのことでした。

 2010年の総選挙に向けて、民主化プロセスが進んでいますが、欧米から何と言われようと自国の実情に適したやり方で進めて行くというのは、当然であり、国際社会は、こうした考えに理解すべきです。

 イラクでの失態をみても、西洋流の民主主義を押し付けてみたところで、かえって混乱を招くことにしかなりません。

 元駐ミャンマー大使の山口洋一氏は、月刊日本7月号の寄稿で、「ミャンマーの国軍はもともと日本軍によって育成された軍隊であるだけに、軍の指導者たちは日本軍の気風を色濃く受け継いでいます。彼らは、勤勉な態度や規律正しさを日本軍から学んだ。身につけた一番の遺産は国に尽くす使命感と自己犠牲の精神であろう。
その指導者たちは決して、権力欲で政権にしがみついているのではなく、彼らなりに好ましい方向に向けた国造りに必死に取り組んでいる。

 現政権が成立した当初から、「われわれは国の体制の基礎固めをするため、必要に迫られてやむを得ず政権に就いているのであって、自分たちの役割はあくまでも暫定的である。しっかりとした憲法ができ次第、その憲法に従って選挙を行い、民政移管し、われわれは兵舎に戻る。長く政権に居座ることなど毛頭考えていない。」と公言してきた。「暫定的」にしては基礎固めに時間がかかりすぎてしまったのは確かだが、それは欧米諸国の締め付けと内政干渉が国造りの努力を阻んできたからだ。」と書かれています。

 私は、今回、初めてのミャンマー訪問でしたが、実に多くの、そして貴重な経験を積むことができました。私の役割は、今後の両国の友好関係の再構築に汗をかくことであることを再認識し決意を新たにしました。