「東日本大震災復興祈念の集い」出席
<2012年3月4日(日)>

 

 3月11日の東日本大震災からの丸一年を前に、3月4日仙台で、犠牲となられた1万5千余柱の御霊の鎮魂をお祈り申し上げ、被災地の一日も早い復興を祈念し表記の集いが開催されました。次のとおり概要で報告します。

 <平沼赳夫先生のお言葉>

 日本は、地震大国である。
 世界に11あるプレートの内4つが日本列島にある。
 通常は、年間に3〜4センチ移動するが、今回は、450kmに渡って、10m飛び上がったために甚大は被害をもたらした。
 3月16日の天皇陛下のお言葉で勇気付けられた。「雄々しい。」とう言うお言葉は、昭和天皇が、終戦の時の「降り積もる 深雪に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」と使われた。
 この集いの前に、各界の代表者と懇談会を開催し、要望を受けました。
 中央政府が、毅然と受け止め政治の責任において復旧、復興を成し遂げるべきと再認識しました。

 <三好達 元最高裁判所長官のお言葉>

 被災地では、一向に進まない復旧、復興にいらだちがある。
 忘れてはならないのは、犠牲者の中にはリーダーなど自己犠牲によって命を落とされてからも多く含まれている。子々孫々に伝えていかねばならない。

 <作家 曽野綾子先生講演>

 政治家は、特に選挙前に「安心な社会をつくります」と競って使いたがりますが、そもそも、安心して暮らせる社会はない。
 私は80歳、終戦時は13歳だった。戦後は何もなかった。国は何もしてくれなかった。(戦没者の例外はある)
 お腹いっぱいだから食べてと昔の親は子供に食べさせた。貧しかったが耐えてきた。だから、その後の国難を日本は乗り越えてこられた。

 被災地の皆さんに強要はできないが、過去を振り返らず、前を進むことを提案したい。
 犬に過去はない。もちろん、傷などは別だが。常に今からのことが全て。人間も動物のDNAがある。嘘でもいいから明るく振る舞いましょう。

 日本は礼と儀を重んじ公共の秩序をとても大事にする誇り高き国である。大震災で再認識したのは、日本人の勇気、技術力、恥の心。

 想定外と超法規を考えたい。
 よく使われた想定外には、違和感がある。人生には何でもおこるのを前提にすべき。私は体験してきた。原発も同じ。
 超法規的な対処が出来ないのは日本の戦後教育の弊害だ。国境なき医師団は、世界の紛争地帯でも精力的に活動している。ある会合で、日本側が、医師免許に有無について質問した。それに対して、外国の医師団は、「技術があり、機材があり患者がいる。他に何が必要なのか理解出来ない。」と答えた。日本は、戦後教育で、平和ボケで、役に立たない教育を教えてきた。一方で、人生において大切な基本的なものを教えていない。


 <宮城県漁業協同組合 唐桑支所運営委員長 畠山政則>

 大震災で、一瞬にして全てを失った。
 再建するか迷っていた。途方に暮れていた時、見ず知らずの人から、頑張って再開して欲しいとの義援金や励ましの言葉をいただいた。二つ返事で再開の決意をした。しかし、全く見通しは立っていなかった。見切り発車だった。仲間に声をかけたが、海を見たくない。船も見たくないとふさぎこんでいた。
 子供達が立ち上がろうとしている。近所の卒業式の答辞で、「失ったものは大きく、戻ってこないが、美しい街に復興したい。」としっかり述べていた。
 唐桑は、宮城で一番先に日が登る。復興の夜明けをつくりたい。

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